2011年 03月 09日
在職立候補 |
統一地方選挙が迫って街中が賑やかになってくると、12年前の当時では珍しい「在職立候補」をしたこと思い出します。
私が通っていたカトリックの学校では事あるごとに「一人で大人になった訳ではないから、人生のある時点を迎えたら、必ず社会に恩返しをしなさい」と、教えていました。この言葉が心に残っていた私は、30代半ばを迎えた時、今まで培ってきたビジネスの経験を活かし「政治の世界で社会に恩返しをしよう」を決意したのでした。
12年前の風潮では、「会社を辞めないと立候補できない」という社会の固定観念がハードルとなり、ビジネスの世界から政治へ挑戦する人が極端に少ない状況にありました。そこで私は選挙に打って出るのなら、この阻害要因を取り除く実験台に自らなってみようと決心し、「在職立候補」を目指しました。
当時私が勤めていた資生堂は、唐突な私の行動に困惑し、マスコミも交えて世間は大騒ぎとなってしまいました。
この窮地を救ってくれたのは、突然現れた社内の私への多くの理解者でした。時間をかけた議論の後、最終的に会社は在職立候補を認めてくれて、私は日本初の「現役OL選挙への挑戦」ができることになりました。朝晩街頭演説をして昼間は会社勤務。選挙期間中1週間だけ有給休暇で対応するという常識では考えられない選挙活動をわずか2か月弱行い、マスコミの報道の力もあって、何とか当選することができたのでした。
今思えば、あの時に会社との間に入ってくださる多くの方々が居なければ、政治家とかしきは誕生しなかったのです。「なぜ、手を差し伸べてくださったのですか?」の当時の私の問いに、その中の一人がおっしゃいました。「とかしきさんが、自分のために立候補したいと言ってなかったから」頂いたこの言葉は、私の政治家人生スタートの最高のプレゼントとなりました。
いまでも私は迷った時、政治家スタートの原点のこの言葉に帰るようにしています。もしかしたら、今の政治の大混乱も、政治家自身がこの言葉を心に刻めば随分解決できることがあるような気がします。
私が通っていたカトリックの学校では事あるごとに「一人で大人になった訳ではないから、人生のある時点を迎えたら、必ず社会に恩返しをしなさい」と、教えていました。この言葉が心に残っていた私は、30代半ばを迎えた時、今まで培ってきたビジネスの経験を活かし「政治の世界で社会に恩返しをしよう」を決意したのでした。
12年前の風潮では、「会社を辞めないと立候補できない」という社会の固定観念がハードルとなり、ビジネスの世界から政治へ挑戦する人が極端に少ない状況にありました。そこで私は選挙に打って出るのなら、この阻害要因を取り除く実験台に自らなってみようと決心し、「在職立候補」を目指しました。
当時私が勤めていた資生堂は、唐突な私の行動に困惑し、マスコミも交えて世間は大騒ぎとなってしまいました。
この窮地を救ってくれたのは、突然現れた社内の私への多くの理解者でした。時間をかけた議論の後、最終的に会社は在職立候補を認めてくれて、私は日本初の「現役OL選挙への挑戦」ができることになりました。朝晩街頭演説をして昼間は会社勤務。選挙期間中1週間だけ有給休暇で対応するという常識では考えられない選挙活動をわずか2か月弱行い、マスコミの報道の力もあって、何とか当選することができたのでした。
今思えば、あの時に会社との間に入ってくださる多くの方々が居なければ、政治家とかしきは誕生しなかったのです。「なぜ、手を差し伸べてくださったのですか?」の当時の私の問いに、その中の一人がおっしゃいました。「とかしきさんが、自分のために立候補したいと言ってなかったから」頂いたこの言葉は、私の政治家人生スタートの最高のプレゼントとなりました。
いまでも私は迷った時、政治家スタートの原点のこの言葉に帰るようにしています。もしかしたら、今の政治の大混乱も、政治家自身がこの言葉を心に刻めば随分解決できることがあるような気がします。
by naomitokashiki
| 2011-03-09 13:26