2012年 10月 16日
国を守るということ |
「あなたは家を出る時に、鍵をかけますか?」当たり前のことです。ところが、国の規模になると、これが出来ていないのが、我が国日本の現実です。
憲法改正が絶体必要であると断言するのには、大きく分けて2つの問題点があるからなのです。
1つ目は、日本国憲法は占領中に出来た憲法で非常事態の条項が謳われてないからであり、国内で大震災が起きた時の対応や外敵の様々な攻撃を受けた時の規定がないのです。
だから責任の所在も不明確なままなのです。
2つ目は、日本国憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。
しかし前文の「諸国民」をロシア、北朝鮮、中国等に置き換えるととんでもない前文であることに気が付きます。
そして9条1項では「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳っています。この条文も、個人の生活に例えれば「私の隣近所の人は良い人ばかりで、悪い人などいるはずないので我が家はいつも鍵をかけずに外出します」と宣言しているのと同じです。泥棒がこの宣言を知れば、間違いなく喜んで盗みに入って来ます。外国から日本国憲法を見ると、お人好しで他人任せの憲法だと捉えられても不思議ではありません。
一個人では絶対に守らなくてはいけないのは、家族・家や財産ですが、国に置き換えれば、国民・領土や国益などです。それをどの様にして守るのか。そのためには自国での防衛、そしてアメリカとの連携はどうするのか…このように「国を守る」と思えば、深刻にそして具体的に考えるのは必然です。
国を大切に思わない国民が増え、無関心になり、気が付いたら隣近所との境界線もはっきりしない。領土問題が勃発しています。これでいいのでしょうか?
「国を守る」という意識の薄れは、自分で鍵をかけて守らなくても、アメリカが体を張って守ってくれるはず!という、他国の善意を前提にした、甘えの構造を生んでいます。これはもう止めなくてはいけません。
独立主権国家としての当たり前の「自らを守る」姿勢が今求められているのです。
国の防衛力は、国民の意識に比例するものです。今だからこそ、自民党は憲法改正の必要を強く訴えているのです。
憲法改正が絶体必要であると断言するのには、大きく分けて2つの問題点があるからなのです。
1つ目は、日本国憲法は占領中に出来た憲法で非常事態の条項が謳われてないからであり、国内で大震災が起きた時の対応や外敵の様々な攻撃を受けた時の規定がないのです。
だから責任の所在も不明確なままなのです。
2つ目は、日本国憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。
しかし前文の「諸国民」をロシア、北朝鮮、中国等に置き換えるととんでもない前文であることに気が付きます。
そして9条1項では「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳っています。この条文も、個人の生活に例えれば「私の隣近所の人は良い人ばかりで、悪い人などいるはずないので我が家はいつも鍵をかけずに外出します」と宣言しているのと同じです。泥棒がこの宣言を知れば、間違いなく喜んで盗みに入って来ます。外国から日本国憲法を見ると、お人好しで他人任せの憲法だと捉えられても不思議ではありません。
一個人では絶対に守らなくてはいけないのは、家族・家や財産ですが、国に置き換えれば、国民・領土や国益などです。それをどの様にして守るのか。そのためには自国での防衛、そしてアメリカとの連携はどうするのか…このように「国を守る」と思えば、深刻にそして具体的に考えるのは必然です。
国を大切に思わない国民が増え、無関心になり、気が付いたら隣近所との境界線もはっきりしない。領土問題が勃発しています。これでいいのでしょうか?
「国を守る」という意識の薄れは、自分で鍵をかけて守らなくても、アメリカが体を張って守ってくれるはず!という、他国の善意を前提にした、甘えの構造を生んでいます。これはもう止めなくてはいけません。
独立主権国家としての当たり前の「自らを守る」姿勢が今求められているのです。
国の防衛力は、国民の意識に比例するものです。今だからこそ、自民党は憲法改正の必要を強く訴えているのです。
by naomitokashiki
| 2012-10-16 17:34
| 活動報告