2008年 07月 05日
戦争の爪痕 |
国会の終わった翌週、私は国の政治を司る国会議員として「戦争」というものとしっかり向き合うために、沖縄に飛び、6月23日の沖縄終戦記念「慰霊の日」に行われる沖縄全戦没者追悼式に参加しました。
90日に及ぶ凄惨を極めた地上戦で失われた20数万の尊い命へ思いを馳せたら・・・沖縄で亡くなった多くの方々の思いが私の心に訴えかけてくるのを強く感じて、急に胸が熱くなり、自然に涙が溢れて止まらなくなってしまいました。
その後、私は集団自決の起こった「渡嘉敷島」にも赴いてみました。実は、この島と私は縁があるのです。私の先祖が、1800年代前半にこの島を領土として貰い受け、我が家は「渡嘉敷」という名前になりました。
我が一族は首里に住んでいたので、この島には居住していませんでしたが、この島で起こってしまった悲劇の歴史を、縁のある政治家としてしっかり肌で感じたいと思っての訪問でした。
集団自決に居合わせた数少ない生き残りの方にお話を伺いながら現地を視察しました。不幸な出来事の偶然の積み重ねに戦争時の異常な心理状態が加わり、自決という選択肢しかなくなってしまった悲劇を生存者の口からお聴きしました。
一番印象に残ったのは、『教科書問題が起こって良かった』と言われたことでした。今まで島民は、人間関係を傷つけたくない一心で不幸な歴史を誰も語らなかったというより、語れなかったそうです。しかし教科書問題をきっかけに生存者が歴史と向き合い、記録を残せるようになったと教えてくれました。
「戦争をおこすのは、たしかに人間です。
しかし それ以上に戦争を許さない努力のできるのも、私たち人間ではないでしょうか」(沖縄県平和祈念資料館・展示のむすびの言葉)この言葉に、これから私が政治家として取り組まなくてはいけない姿勢を、強く感じた今回の沖縄の視察でした。
90日に及ぶ凄惨を極めた地上戦で失われた20数万の尊い命へ思いを馳せたら・・・沖縄で亡くなった多くの方々の思いが私の心に訴えかけてくるのを強く感じて、急に胸が熱くなり、自然に涙が溢れて止まらなくなってしまいました。
その後、私は集団自決の起こった「渡嘉敷島」にも赴いてみました。実は、この島と私は縁があるのです。私の先祖が、1800年代前半にこの島を領土として貰い受け、我が家は「渡嘉敷」という名前になりました。
我が一族は首里に住んでいたので、この島には居住していませんでしたが、この島で起こってしまった悲劇の歴史を、縁のある政治家としてしっかり肌で感じたいと思っての訪問でした。
集団自決に居合わせた数少ない生き残りの方にお話を伺いながら現地を視察しました。不幸な出来事の偶然の積み重ねに戦争時の異常な心理状態が加わり、自決という選択肢しかなくなってしまった悲劇を生存者の口からお聴きしました。
一番印象に残ったのは、『教科書問題が起こって良かった』と言われたことでした。今まで島民は、人間関係を傷つけたくない一心で不幸な歴史を誰も語らなかったというより、語れなかったそうです。しかし教科書問題をきっかけに生存者が歴史と向き合い、記録を残せるようになったと教えてくれました。
「戦争をおこすのは、たしかに人間です。
しかし それ以上に戦争を許さない努力のできるのも、私たち人間ではないでしょうか」(沖縄県平和祈念資料館・展示のむすびの言葉)この言葉に、これから私が政治家として取り組まなくてはいけない姿勢を、強く感じた今回の沖縄の視察でした。
by naomitokashiki
| 2008-07-05 10:04
| 活動報告